先日、シンガポールへの移住を検討しているという社長から相談を受けました。「節税のために海外に移住すれば、日本の税金からは逃げられるんですよね?」と、どこか期待に満ちた表情で聞いてくれました。

正直に言います。そう簡単ではありません。

むしろ、何も知らずに動くと、移住前から数億円の税金が発生することもあります。今回は、富裕層の海外移転でよく見落とされている3つの「課税の罠」をお話しします。

出国する前に課税される、知られざる制度がある

まず最初に知っておいてほしいのが、「国外転出時課税」という制度です。

株式や投資信託などの金融資産に1億円以上の含み益を持ったまま日本を出国すると、出国した時点で売却したものとみなして課税されます。実際には一株も売っていないのに、です。

たとえば、10億円分の未上場株式を保有していて、取得価格が1億円だとします。含み益は9億円。その約20%、つまり約1.8億円の税金が出国前に発生します。

「移住先の低税率国に住むから、日本の税金は払わなくていい」というのは幻想で、その前の段階でまず日本に払い切らなければならないのです。

担保を提供すれば納税猶予を受けることもできますが、手続きは煩雑で、帰国しない場合はそのまま課税が確定します。「移住してから考えよう」では手遅れになるケースがほとんどです。

「183日以上いれば非居住者」は半分しか正しくない

次に多いのが、183日ルールへの過度な信頼です。

「シンガポールに半年以上住めば、日本の非居住者になれる」――そう思っている社長は多いのですが、実際の税務調査では、もっと広い目で居住実態が確認されます。

滞在日数はあくまでひとつの指標に過ぎません。税務署が実際に見ているのは、家族(配偶者や子ども)がどこに住んでいるか、生活の中心がどこにあるか、ビジネスの拠点や取引先がどこにあるか、自宅をどちらに維持しているか、といった総合的な事情です。

これらを総合的に判断した結果、「実態は日本に生活の本拠がある」と認定されると、たとえシンガポールに183日以上滞在していても、日本の居住者とみなされて課税されます。

タワーマンションを売らずに置いたまま、家族も日本に住まわせたまま、シンガポールに「移住した」という体裁だけとった社長が、税務調査で全額課税されたというケースは珍しくありません。形式だけ整えて実態が伴わない移住は、むしろリスクを高めます。

出国後10年間、相続税の網は世界中に広がっている

そして、多くの方が見落としているのが「相続税の10年ルール」です。

日本から出国した後、10年以内に相続が発生した場合、世界中の財産が日本の相続税の課税対象になります。シンガポールに移住して、ケイマン諸島の資産やスイスの銀行口座を持っていても、です。

「相続税のない国に財産を移せば大丈夫」と思っていた方には衝撃かもしれません。

さらに注意が必要なのは、被相続人(亡くなった方)だけでなく、相続人(財産を受け取る側)も出国から10年以内であれば同様の扱いになる点です。つまり、親子ともども海外移住したとしても、双方の出国から10年が経過するまでは、日本の相続税から逃れることはできないのです。

海外移転は「節税」ではなく「構造設計」が必要

ここまで読んでいただくと分かるとおり、海外移転は「移住すれば自動的に節税できる」という話では、まったくありません。

事前に金融資産の含み益を整理しておくこと、居住の実態をきちんと構築すること、出国後の相続設計まで含めたロードマップを引くこと――これらをすべてセットで考える必要があります。

国際税務は、租税条約の解釈や各国の税制との絡み合い、CRS(共通報告基準)による金融情報の自動交換制度など、国内税務とは別の専門知識が求められる領域です。「節税になるかも」という段階で国際税務に強い専門家に相談するのが一番で、動いてから相談に来ると、すでに手遅れの状況になっていることも少なくありません。

海外移転を検討しているなら、まずはご自身の金融資産の含み益を整理して、どの程度の課税リスクがあるかを把握するところから始めてみてください。それだけで、専門家との相談が格段にスムーズになります。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。