「会社を売ったら、手元に何が残るか把握していますか?」
先日、年商10億規模の製造業を経営する社長からこんな相談を受けました。「M&Aの話が具体的になってきた。売却益が3億円ほど出そうなんだが、税金ってどのくらいかかるの?」
正直に言います。この質問に「いくらかかります」と一言では答えられません。なぜなら、どんな方法で売るかによって、手取りが1億円以上変わることがあるからです。
事業譲渡と株式譲渡、選び方で天と地の差
M&Aの出口には大きく2つの方法があります。「事業譲渡」と「株式譲渡」です。
事業譲渡とは、会社の事業そのものを売る方法です。売却益は法人の利益になるため、まず法人税がかかります。現行の実効税率はおよそ34%。3億円の売却益なら、約1億円が法人税として消えます。
ここで終わらないのが落とし穴です。法人税を払って残ったお金を社長個人が手にするには、配当という形を取る必要があります。この配当にも所得税・住民税がかかり、最大で55%近くになるケースもある。法人段階で1億、個人でさらに数千万——合計すると税負担が2億円を超えることも珍しくありません。
一方、株式譲渡を選ぶとどうなるか。株式は社長個人の資産ですから、売却益は個人の所得として扱われます。そこに適用されるのが分離課税の20.315%のみ。3億円なら、単純計算で約6,000万円の税負担で済みます。
同じ3億円の売却益でも、税負担が6,000万円と2億円以上——差額は1.5億円近くになることがあります。
売る「前」に設計できるかどうかがすべて
株式譲渡を選べば自動的に節税できる、というわけではありません。もう一段、事前に設計しておくべきポイントがあります。
それが役員退職金の活用です。
M&Aが成立する前のタイミングで、オーナー社長に対して役員退職金を支給することができます。役員退職金は損金に算入できるため、会社の利益——つまり株式価値——を合法的に圧縮する効果があります。株式価値が下がれば、譲渡益も小さくなる。
さらに個人の側では、退職金に適用される課税は通常の給与所得より格段に有利です。退職所得控除があるうえ、課税対象はその2分の1に圧縮されます。長年経営してきた社長にとって、この控除は相当な金額になることが多い。
売却の「後」に動き出すのでは間に合いません。スキームの設計はM&Aのプロセスが動き始める前——できれば1〜2年前——から着手するのが理想です。
「知っている社長」と「知らない社長」の分かれ目
多くのM&A事例を見てきましたが、この差は正直、情報格差そのものです。
事業譲渡を選んでしまう社長の多くは、「顧問税理士に任せてある」と言います。しかし普通の顧問税理士は毎月の記帳や決算に忙しく、M&Aの出口戦略まで専門的にアドバイスできる方はそう多くありません。
そして一番怖いのは、一度クロージングしてしまったら取り返しがつかないことです。売却後に「株式譲渡にしておけばよかった」と後悔しても、税金はすでに確定しています。
もしM&Aを検討しているなら、まず次の3点を確認してみてください。
- 売却の形式は事業譲渡か、株式譲渡か
- 役員退職金の活用余地はあるか
- 現在の顧問税理士はM&A税務に精通しているか
この3点を整理するだけで、手取り額に対する解像度がまったく変わってきます。
「なんとかなるだろう」が一番リスクが高い
会社を売るというのは、経営者人生における最大の意思決定のひとつです。それだけに、「細かいことは後でいい」という感覚は非常に危険です。
具体的な話が来てから動き始めると、設計できることが急激に狭まります。役員退職金の活用も、スキームの選択も、時間がなければ十分な効果を発揮できません。
まだM&Aを具体的に考えていない段階でも、「出口を考えるなら何を準備しておくべきか」を一度専門家と話しておくことをお勧めします。備えた社長と備えなかった社長では、最終的な手取りが億単位で変わることがある——それだけの話です。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。