先日、ある社長からこんな相談を受けました。「M&Aで会社を売ったのに、手元に残ったお金が思っていたより全然少なくて…」というものでした。
売却額を聞くと5億円。それなのに手元に残ったのは2億円にも届かないと言います。「何かがおかしい」と気づいた頃には、もう後の祭りでした。
こういった話、M&Aの世界では珍しくありません。実は、売却の「形式の選択」一つで、手元に残る金額が数億円単位で変わることがあるのです。
3億の差を生んだ、一つの選択
M&Aで会社を売却するとき、まず決めなければならないのが「どの形で売るか」です。主に「株式譲渡」か「事業譲渡」か、この2択になります。
株式譲渡を選んだ場合、売却益にかかる税率は分離課税の約20.315%です。仮に売却益が5億円なら、税負担はおよそ1億円。残り4億円近くが手元に残る計算になります。
一方、事業譲渡を選ぶと状況が一変します。会社(法人)として売却益を得ると、法人実効税率は約30〜34%かかります。しかしここで終わりではありません。法人に残ったお金を自分の手元に移すには、役員報酬や配当として出す必要があり、そこにもさらに税金がかかります。二重課税の構造になるため、最終的な手取りが大きく目減りするのです。
同じ5億円の売却でも、形式の選択次第で手取りが2〜3億円変わることは珍しくありません。これが「M&Aで3億損した」という話の正体です。
見落とされがちな「自社株の評価」
もう一つ、多くの社長が見落とすのが自社株の評価です。
株式譲渡の場合、課税されるのは「株式の売却益」です。そしてこの株価の計算に、会社の純資産が大きく影響します。純資産が大きければ大きいほど、株価は高く評価されます。
買い手にとっては魅力的な話ですが、売り手にとっては逆です。株価が高いということは売却益が膨らむということ。結果として税負担も増えることになります。
実際に数億円単位で税務コストを圧縮した社長たちは、売却の2年前から動いていました。役員退職金を適切なタイミングで支払って純資産を圧縮したり、持株会社を設立して株式を移管したりといった手法です。どれも合法的な節税対策ですが、共通しているのは「早めに動いた」という一点です。
直前に動いても、なぜ「手遅れ」になるのか
「じゃあ売却が決まってから対策すればいい」と思うかもしれませんが、それが難しいのです。
組織再編に関わる税制特例には、一定の準備期間と継続要件があります。合併や会社分割を使った節税スキームでは、「事業目的があること」「一定期間継続すること」などの条件を満たす必要があります。
売却話が持ち上がってから慌てて動くと、税務署から「租税回避目的の組織再編」と判断されるリスクが生じます。せっかく対策を打っても後から否認されては意味がありません。また、買い手との交渉が始まった後では「株式か事業か」の選択自体が、買い手の都合に引きずられることもあります。
「M&Aを考え始めたとき」が動くべきタイミング
理想は、売却の2〜3年前から税理士と一緒に現状を把握しておくことです。
まず確認すべきは、現在の自社株評価がいくらになっているか。そして役員退職金の積み立て状況、持株会社設立の可能性、組織再編の余地があるかどうか。これらを把握した上で、売却スケジュールに合わせた戦略を立てることができます。
「まだM&Aは遠い話だから」と後回しにしがちですが、買い手からのアプローチは突然やってくることも多いものです。そのときに「準備できていた社長」と「準備していなかった社長」では、手元に残る金額が億単位で違ってきます。
会社の売却をほんの少しでも考えているなら、まず税理士に現状を相談するところから始めてみてください。動き出すのに早すぎることはありませんが、遅すぎると取り返しがつきません。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。